ちりほた日記

自らを千尋の谷に落とすような気持ちで社会を生きていますorz

これまでのこと5

妊娠、出産、仕事復帰

退職してしばらくしてから、妊娠がわかり、妊娠初期から出産、娘が一歳になるまでは専業主婦として過ごしました。家の中を片付けたり、家計簿を付けたりと、今までできていなかった家の中のことに取り組む時間ができ、最初はとても充実していました。特に、ずっと習いたいと思っていた絵画教室に通う時間は、私にとってとても大切なものでした。

しかし、妊娠して少したったくらいから、少しずつコロナが流行り始め、それと同時に少し回復していた強迫性障害の症状が再び悪化してきました。妊娠していたこともあり、過剰に不安になり、外出、外食はほぼしない生活になりました。絵画教室も、悩んだ末にたった数ヶ月で辞めてしまいました。

過剰な手洗いの他、生肉や、野菜に触ったり、料理をすることにも強い抵抗を感じるようになりました。目に見えないウイルスや細菌に対して異常に恐怖を感じていました。今思うと明らかにやりすぎなのですが、当時は何かある度に、お腹の中の子供に悪いことが起きるのではないかと不安になっていました。

夫に何度も何度も「大丈夫だよね?」と確認し、望む答えが帰ってこないとヒステリックに大きな声を出したり自分を傷つけてしまうことがありました。その前後で強迫性障害専門のクリニックに通いだしたのですが、その通院もコロナへの恐怖からなかなかスムーズにはいきませんでした。先生には、集中治療の行動療法を試すか、投薬を勧められましたが、行動療法は高額で、投薬は母体への影響が気になり、決断することができないまま、日々が過ぎていきました。

娘が生まれると、今度は娘を取り巻く環境や、口にするものに対しての不安が強くなりました。

しかしこの時期は初めての経験が続いたこともあり、不安になる苦しさはあってもそれを上回る余裕のなさがあり、妙に心が安定している一面もありました。

クリニックの先生が言うには、強迫性障害は、暇な時になりやすいらしいです。時間があるからこそ不安になる余裕があるということなのか…まさに現代病なんだな、と思いました。

 

つづく

 

これまでのこと4

退職までの流れ②

皆の期待の通りの自分でいたい、失敗したくない、当たり前のことが当たり前にできる人でいたい。

そんな気持ちから、ひとつひとつの行動の前後で、何か見落としていることはないか、やり残していることはないか、確認するようになっていきました。

例えば、入居者さんの部屋を出る前に、ベッドの高さは最適か、忘れ物やゴミが置いたままになっていないか、電気は付けたままか消すかどうか、など、自分の中でトラブルになりやすそうなポイントをチェックしてから退室するという感じです。

入居者さんが1人で転倒して怪我をしたりすると、直前の部屋の環境がどうなっていたのかということを確認する必要があるのですが、私はそれが思い出せないことがよくありました。

私の頭の中は忙しく、目の前のことで考えることがなくなると半歩先のことや、全然関係ないことを考え出してしまうため、意識せずに過ごしているとあとから振り返ったときにその時どんな状況だったのか全く思い出せないのです。

後に受診したメンタルクリニックの先生が、「ADHDの人は超合理的だ」と言っていたのですが、私もそう思います。無駄だと思ったことを無意識に排除してしまうところがあるような気がします。そして、端からは「マイペースだね。」と言われますが、自分ではかなりせっかちな性格だと思っています。

そういった偏った自分の感覚を修正する上で、一度立ち止まり抜けを確認することは、とても有効だと感じていました。実際それでミスを未然に防げたことも多くありました。

しかし、確認する中で、改めて自分が本当に"気づけない"人間だということを実感しました。確認してなかったら危なかったと思うようなことも多くありました。また、確認をルーティーン化するまでは時間がかかり、確認自体が抜けてしまって自己嫌悪に陥ることも時々ありました。

 

なんで、忘れちゃうんだろう

なんで、こんなことに気づかないんだろう

なんで、当たり前に皆が出来ていることが、私には難しいんだろう

 

そんな風に思うことが増え、失敗体験を重ねる度に、1回だった確認が2回になり、3回になり、いつしか、何回確認しても安心できなくなっていきました。

私のことだ、きっと何か忘れているんじゃないかな。

と、自分のことが全く信用できなくなり、執拗に確認行動を繰り返すようになりました。

当然その分業務にも時間がかかるようになり、次第に支障が出てくるようになりました。

ここまで来ると、自分でも、これは8歳の時のやつだ。と気付き、強迫性障害かもしれない、と思うようになりました。仕事以外でも、家を出る時の鍵の確認や、ガス栓の確認、生肉に触ると不安になるなど、いろいろな強迫観念が浮かび、それに伴う確認行動が次々と始まるようになってしまいました。

 

ADHDの特性による不注意を防止するために始めた確認が、いつの間にか強迫性障害を引き起こしていた、ということだと思います。しかし、この時点ではそこまで自分について掘り下げて考えることをしていませんでした。とにかく苦しい毎日から、正社員として働くことへの限界を感じ始め、夫からの勧めもあり、仕事を辞めて短時間の仕事に切り替えることに決めました。

 

つづく

これまでのこと3

退職までの流れ①

最悪の職場環境でも、社会を知らないからこそ簡単に見切りを付けることもできず、8年間がむしゃらに働きました。

ADHDの人は臨機応変な対応が苦手だと私は感じているのですが、長く同じ職場にいることで経験値がたまり、傍目にはできてるっぽく見えるようにはなりました。

しかし、それに伴いリーダー業務や行事の企画等も行うようになり、睡眠やプライベートの時間を最大限に削っても、仕事が追い付かなくなっていきました。

上にいけばいくほど、自分に判断が委ねられる事が増え、周りに目を配ることも必要になってきます。

しかし、私は自分で注視したいと思うことにしか集中できない所がありプロジェクトでメンバーに仕事を任せることはできても、その進捗を見ていくということが苦手でした。

興味がないことに目が向かない、というのは当たり前のことだと思うのですが、私の場合、興味がないことに目を向けることが難しいというほうが合っている気がします。

 

少し過去の話に遡りますが、中学生の頃、周りが流行りのアイドルグループや歌手の話で盛り上がっていても、それらに興味が持てず、いつも聞き役に徹していました。

当時、テレビがあまり好きではなくいつも机に向かって絵を描くか、漫画を読んでばかりいたため、流行の歌や番組も全くわからなかったのです。しかし、ある時なにも知らないことをダサいとバカにされ、負けず嫌い根性に火がついた私は、音楽番組を観て、皆の話題に着いていけるようになってやろうと思いました。

さっそくその日の夜にテレビをつけた私ですが、テレビの画面に現れるヒットチャートはあっという間に消えてしまい、メモを取る間もありません。何より、次々と現れる歌手や曲名が、全く頭に入らないのです。情報量が多すぎたこともあるかもしれません。記憶力は良い方だと思っていたのですが、全然覚えられず、興味が無い曲を聴くのはただただ苦痛でした。

誰かに聴かれた時に、あの曲のここが好きと言えるようにしたいと思っていた私でしたが、曲を聴いてもなにも浮かびません。自分の不器用さに愕然として、なんだかとても残念な気持ちになりました。

その後も何度も音楽番組をつけては見たものの、やっぱり頭に入らず、何をどれくらい覚えたらいいのかも分からず、ひたすら愛想笑いと相槌のみで流行りの話題をのりきることになってしまいました。

それまでは、私は皆が当たり前に知ってることをしらないけれど、それは、やればできるけどやってないだけ、興味ないから知らないだけ、と思っていました。しかし、もしかして、やろうと思ってもできないことがあって、自分を"普通"に見せるためには、かなり努力が必要なんじゃないか…?

その後、苦しめられることになる"普通"という高いハードルの存在に、初めて気づいた瞬間でした。

話がだいぶ脱線してすみません。

 

そんなわけで、仕事においても、これは頑張りたいと思えることには十二分な成果を出せるのですが、仕事上重要なことでも、そこに自分が納得して、興味を持てなければ力を発揮することができませんでした。

結果として、端から見たときに、仕事振りにひどく凹凸のある、扱いにくい社員という印象があったと思います。イレギュラーなことや、自分が目を向けていないことが起きるとまるで対応できず、周りの期待や評価と自分が実際できることの食い違いがかなりありました。

 

当時の私は周りの期待は素直に嬉しく、裏切りたくない、迷惑をかけたくないという気持ちがありました。

それが、当たり前のことを失敗しないようにしたい!どんなことでも気づけるようにしたい!という気持ちに繋がり、次第に自分の行動ひとつひとつに間違いがなかったか確認するようになっていきました。

 

つづく

 

これまでのこと2

就職、結婚、子育て~の現在

地元の大学卒業後、東京の介護施設で就職が決まり、上京してきました。

当時の私の頭の中は完全にお花畑で、介護はお年寄りとのんびりまったりお話できて楽しそう!向いてそう!というかるーい気持ちで就職を決めました。大学で近現代史を専攻していた私にとっては、お年寄りから貴重な戦争体験の聞き取りができるかもという期待もありました。バイト経験もなく、社会の厳しさを全く知らず、恵まれた環境(ごみ屋敷だったけど)で育った私は自ら虎穴に入ろうとしていることに全く気づいていませんでした…

新卒で配属された老人ホームは、一言で言うと、地獄でした。業務は常にマルチタスクで、ミスをすれば入居者の命に関わることもある仕事です。本来なら新人がミスをしてもカバーできる仕組みがあるはずですが、常に人手不足、助けを求めても「あ、そう、まあがんばって!」とスルーされ、ミスをすると徹底的に責任を追及されました。時間に追われ、常に緊張状態にある中で頭の中のタスクはどんどんこぼれ落ちていき、ありとあらゆるミスをしました。残業しても業務は終わらず、毎日2~3時間の残業は当たり前でした。

「親の顔が見てみたいわ」

「(目の前で)明日○○(私の名前)と一緒じゃん、最悪!」

今までの人生で言われたことのない言葉が心に深く刺さりました。

唯一の救いは入居者さんとのコミュニケーションでした。認知症のフロアで、名前を覚えてもらえることはありませんでしたが、辛いことがあっても入居者さんの笑顔を見ると頑張ろうと思えました。まるで自分の家族のように接してくれる入居者さんもいました。

認知症の人が抱える不安や孤独が、子供の時から自分が抱えていた孤独感と重なるように感じていたのかもしれません。

他の人と同じようにできないことで孤立し、辛い思いをすればするほど、同じ境遇の人に強く寄り添いたいと思うようになりました。

 

つづく

 

これまでのこと

今日までを振り返って

思えば、子供の頃からじっとしていられない子供でした。

  • 幼稚園時代、電車の端から端まで大きな声を出して走り回り、幼稚園に乗客からクレームが入る(先生は駅まで送ってくれて、電車の中は子供たちだけでした)→他の子もいたのに先生からは自分が主犯と決めつけられ注意されたため、普段から問題児だったのだと思います(実際自分が先導していたような気がする)
  • 小学1年生の授業参観、母親が教室に来るのを待ちきれず教室を飛び出して玄関まで迎えに行ってしまう
  • 同じく1年のとき、授業中座っていられず、教室の中をうろうろしてしまう→担任の先生は定年退職前の最後の担任だったそうで、とても優しく、注意はされても叱られることはありませんでした。今思うと授業中も常にしゃべっているか歩いているかだった気もします。
  • 小学2年のとき、強迫性障害を発症。手洗い、不安発言が止まらなくなってしまう。気になることがあったりやり残したと感じていることがあると、その場所から離れられなくなってしまい、授業に間に合わなくなることがある→小2の担任の先生は躊躇なく体罰という暴力を振るう先生でとても恐ろしかったのですが、その恐怖よりも強迫の症状による不安の方が耐え難かったです

小3以降は、周りの環境にも恵まれたせいか、強迫性障害の症状は収まり、じっとしていられない性質も少し改善されていきました。

それでも、テストの凡ミスがすさまじかったり、身だしなみに気を遣えず(というか気づかないし興味がないからどうでもいい)髪はボサボサ、服は2、3着を着まわし、ほつれや穴だらけという感じでした(親ももうちょっと気にしてやってという感じですが)。

片付けや掃除も苦手で部屋の中も万年腐海の森状態でしたが、そもそも実家がわりとごみ屋敷だったので(家に来た友人に言われたことがあります)特に気にすることもなくゴミの中で快適に過ごしていました。運動は尋常でなく苦手でしたが、勉強は割りと好きで成績は良い方だったと思います。

中学、高校では空気を読まない発言や、マイペースぶりからか不思議ちゃんと呼ばれることもありました。

授業を受けることが苦手で、先生の説明を聞きつつ板書を見て、それをノートに写す、ということが煩雑すぎて頭がショートを起こし、結果的に全授業を寝るという暴挙に出ました。そもそも耳を使いながら手を動かすということが自分の中では既にマルチタスクで、心底難しいことなのです。また、さすがに授業中立ったりうろうろしてしまうことはないものの、自分の意思で立ったり座ったり発言したりできない環境で長時間を過ごすことはやはりとても苦しく感じました。

家に帰ってから静かな環境で、自分で教科書を読んで、じっくり勉強する方が自分には合っていました。自分の中で明確なスイッチがあり、オンのときは集中できて、オフのときは何一つ吸収できない感じがありました。授業を受けている時間は自分にとって苦痛の時間であり、先生には申し訳ないですが、当時は無駄な時間だと思ってしまっていました。

それでも当時は自分はちょっと変わっているかもしれないけど特に自己主張をせず、周りになにか言われてもただ受け流して生きていれば集団に埋もれて平和に生きていけると楽観的に考えていました。

 

社会に出るまでは。

はじめに

はじめに

皆さまはじめまして、ちりほたと申します。

東京都在住34歳既婚パート一人娘の親をしております(自己紹介短縮しすぎ)

半年前、持病の強迫性障害が悪化し、近所のメンタルクリニックを受診、その後ADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されました。

障害については、うすうすそうなんじゃないかなぁ…とは思っていて、やっぱりと腑に落ちた気持ちでした。今はストラテラという薬を内服し、強迫性障害の症状は落ち着いています。

ADHDの症状の方は、正直微妙な感じで、相変わらずミスも多く、周りに迷惑をかけまくりながらなんとか働いているという感じです。

現代社会を、一社会人として、大人として、親として生きていくことは、私にとって容易なことではありません。

こんなことを言うと笑われるかもしれませんが、まるで、今にも割れそうな、氷の上を歩いているような気持ちで毎日過ごしています。

そんな必死な毎日を、日記を書くことで少しでも楽にできないかなぁと思い、ブログを始めました。

自分のことを客観視することで、自分のことを自分から少し引き離したいというか…(何を言ってるんだろう…)

そして、もしこのブログが同じような悩みを抱えている人の目に止まって、自分だけじゃないと思ってもらえたら…そんな気持ちでいます。